京都の東山や大原、日野などで隠遁生活に入りました。 春・夏に旱魃(かんばつ)、あるいは秋には大風・洪水など悪いことが続いて、穀物はことごとく実らない。 (注)木の丸殿・・・丸太で造った宮殿。 遠き家は煙 (けぶり)に咽 (むせ)び、近きあたりはひたすら焔 (ほのほ)を地に吹きつけたり。 だから、親子となると、決まって親が先に死んだ。 ところ河原(かはら)近ければ、水難(みづのなん)も深(ふか)く、白波(しらなみ) [「白波」は盗賊の例えでもある]のおそれも騒(さわ)がし。
>もし辺鄙な土地に住んでいれば、都との行き来が面倒で、盗賊の被害にあうことも多い。 家の損亡(そんばう)せるのみにあらず。 これ、民をめぐみ、世をたすけ給(たま)ふによりてなり。 或は去年 こぞ 焼けて、今年作れり。 ついでに「地」を「ぢ」と読むか、「ち」と読むかなど、確定できない場合も多い。 この風、未 (ひつじ)の方に移りゆきて、多くの人の嘆きなせり。
>もしは粟津の原を分けて、蝉丸翁が迹をとぶらひ、田上川をわたりて、猿丸大夫が墓をたづぬ。 一生懸命に働いて建てた家も、跡形もなく崩れていく。 世の中にある人と、栖 すみか とまたかくのごとし。 校訂・訳 『方丈記』• まして都の内外では、至るところあらゆる建物は一つとしてまともなものはない。 歌舞伎事典 0• 我がためにのみ おほかた、このところに住(す)みはじめし時 [方丈記執筆(1212年)の五年前]は、あからさま [ちょっとの間。
>死というものがそれほど切実ではない現代の私たちは、それゆえに「いかに生きるか」ということを考える機会も少なくなっています。 特に深刻な被害をもたらしたのは,養和年間 1181~82 の飢饉です。 吹き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇を広げたるがごとく末広になりぬ。 長明の庵の近くには山を守る番人の小屋があり、そこに男の子も居ました。 誰かの面倒をみると愛情にしばられる。 ましてそのほかの一般の小さな家は、数えることもできない。
>あるいは身ひとつ、からうじて逃(のが)るゝも、資財(しざい) [資産、財産、『方丈記』に於いては家財道具などを含めて資産価値のあるあらゆるものくらいの意味]を取り出(い)づるにおよばず。 糧(かて)乏(とも)しければ、おろそかなる報(むくい) [粗末な、質素な果報(の結果としての今の生活)]をあまくす [甘んじる、享受する]。 』およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。 ゆく河の流れ ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 人を頼めば身他のやつことなり、人をはごくめば心恩愛につかはる。 関連項目 [ ]• 地が揺れ家が壊れる音は雷のようだ。
>「福原遷都」です。 その時の火事で、公卿の家は十六焼けた。 むなしく春かへし [「むなしく春かへし」、底本になし。 くさむらの蛍(ほたる)は、遠(とほ)く槙(まき) [宇治川と巨椋池の間にあった「槙島(まきのしま)」という洲(す)のこと]のかゞり火(び)にまがひ [見分けが付かず、見間違える]、あかつきの雨は、おのづから木の葉(このは)吹く嵐(あらし)に似たり。 もし狭き地に居れば、近く炎上する時、その害をのがるゝことなし。
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