玉 の を よ た えな は 絶え ね ながら へ ば 忍ぶ る こと の 弱り も ぞ する。 百人一首 式子内親王(しきしないしんのう)89番歌 小倉百人一首辞典

玉のをよたえなばたえねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする/式子内親王

そう言う場合、「もぞ」というような複合語はあるのかないのか、素人判断をせずに、古語辞典を見るべきです。 片思い中の切ない気持ちを詠んだものから、別れの悲しみを詠んだ歌までさまざま。 式子内親王は、後白河天皇(ごしらかわてんのう)の第三皇女です。 上二段動詞「忍ぶ」の連体形です。 そこはかとなく誠実な感じがするのは、人物そのものが歌に反映しているからでしょう。 ひもの話じゃなくて、「春の日長」の話なんだもの。

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新古今和歌集の式子内親王の和歌、玉の緒よ絶えなば絶えねながらえ...

こうした下地があって、やがて定家と内親王は秘かな恋愛関係にあったのだとする説が公然化し、そこから「定家葛」に関する伝承や、金春禅竹の代表作である謡曲『定家』等の文芸作品を生じた。 この句は「もし絶えてしまうものならば」と訳すことができます。 それは和泉式部の歌のように、外に向かって発する詠嘆ではなく、内にこめて嘆く歔欷(きょき=すすり泣き)であり、特殊な悩ましい情熱の魅力を持っている」と書いています。 このような、和歌の中でちゃんと「その語の意味」を備えている語は、 「枕詞」ではない。 後白河天皇の第3皇女。 「玉の緒よ絶えねば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」の鑑賞 こちらの短歌は、 二句までの激しさと、三句以降の儚げな不安が対照的な歌です。

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式子内親王(しょくしないしんのう)|子供と愉しむ百人一首:百人一首の意味を知ろう

下の「絶えね」の「ね」は完了の助動詞「ぬ」の命令形で、「絶えてしまえ!」という意味です。 残り行有明の月のもる影にほのぼの落つる葉隠れの花. たとえば、「雨降る。 しかし八条院とその猶子の姫宮(式子内親王の姪にあたる)に呪いをかけたとの噂が立てられ、身の潔白を証明するため 1191年頃に出家します。 【特典2】新商品や無選別など販売情報をいち早くご案内いたします。 そう、この「玉の緒よ」は、「枕詞」と考えるのは当たりません。 八条院での生活は、少なくとも1190年(文治6年)正月までは続いた。

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小倉百人一首 式子内親王の和歌(短歌)の意味を解説

…と困るから。 生き長らえてしまうと、耐え忍ぶことができなくなり、私の心が弱ってしまうと困るから。 歌人としての式子の評価は高く、新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人にも称されるほどです。 現代の我々から考えてみると、「そうまでして隠さなければないらないの?」とも思うかもしれません。 はかなくて過にし方を数ふれば花に物思ふ春ぞ経にける• 近現代の評価 式子内親王の歌に対する評価が、技巧的-自然観照的、あるいは定家的-西行的等と、両極端に分かれる傾向が指摘されると共に、その抒情性は、和泉式部的な激情から玉葉風雅的な「すみきった抒情」に純化される中間に位置するとの意見がある。 【原文】 玉の緒よ絶えねば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする 【現代語訳】 私の命よ、絶えるなら絶えてしまってくれ。

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ちょっと差がつく百人一首講座

歌合にはあまり出ておらず、現存する作品も 400首も満たないのですが、その内 157首が勅撰集に入集するなど時代を代表する女流歌人として活躍しました。 さて、今回は晦日ですので、除夜の鐘で有名な京都の知恩院をご紹介しましょう。 さて、今回は晦日ですので、除夜の鐘で有名な京都の知恩院をご紹介しましょう。 式子に歌を教えていたのは藤原俊成だったことから、その息子である藤原定家とも親交をもつようになったとされています。 これは、師である藤原俊成やその息子である定家を通して、当時の最先端の和歌を学んでいたためと考えられます。 恋を忍ぶ意志が弱くなっても困るから。 今回は、胸中に秘めた恋を情熱的に歌いあげた 「玉の緒よ絶えねば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」という歌をご紹介します。

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玉のをよたえなばたえねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする/式子内親王

1200年(正治2年)後鳥羽院の求めに応じて百首歌を詠み、定家に見せている。 基本的に『古今集』『新古今集』などの当時から古典的な歌となっていたものを集めた歌集、そして勅撰和歌集から選ばれています。 スポンサーリンク 優れた歌を百首集めた 『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の 藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。 彼女自身も色んなトラブルに巻き込まれていますが、歌人としての評価は高く歌を支えにひっそりと生きた高貴な女性でした。 人の世の恋のあわれの極限を命である「玉の緒」を用いて、激情的に訴えながら気品の高い秀歌とされています。

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【百人一首 89番】玉の緒よ…歌の現代語訳と解説!式子内親王はどんな人物なのか|百人一首解説サイト

ただし、あくまでひとつの技巧として取り入れることが重要であるため、歌の展開上必然的に関係する語は縁語とは呼ばれません。 「玉の緒」本来の、「美しい宝玉を貫き通すひも」という意味は、 この和歌の内容には盛り込まれていないよね。 百人一首は、一般的には『小倉百人一首』として知られているものであり、700年以上前に鎌倉時代の歌人である藤原定家がまとめたものです。 百人一首を代表する抑えた恋の激情を感じさせる歌です。 つまり「もぞ」で一語の係助詞となり、それの結びが「ぞ」に引きずられて、終止形ではなく、連体形になったと見なすべきです。 定家は、和歌を詠むのがとても上手で、当時を代表する女流歌人です。

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百人一首の意味と文法解説(89)玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする┃式子内親王

この歌はもともと「忍ぶ恋」という題を与えられていたと、新古今集の詠題にあります。 この「もこそ」も同じで「あだ波で袖が濡れると大変ですから(あなたに裏切られ、涙で袖を濡らしたくないから)」となります。 【現代語訳】 我が命よ、絶えてしまうのならば絶えてしまえ。 「絶え」「ながらへ」「よわり」は、緒の縁語で、どれも緒の状態に関係しています。 けふのみと霞の色も立別春は入日の山のはの空• 長く生きていくことで、「心に秘めたこの想いが、人に知られてしまうこと」を危惧していたようですね。 普通、係り結びは「ぞ、なむ、や、か、こそ」と言われますが、応用形として、「もぞ」のような複合したものもあるのだと、考えるとよいでしょう。

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