五井 昌久。 五井昌久の世界平和の祈り

祈り

守護霊様ありがとうございます• 絶対なる一なるものから、分かれる。 だけど、善は、無限に出て来る。 自己の想念が自己の本心と一つになると、おのずから愛と真(まこと)と美の正しい行為が日常生活に現われてくるようになります。 植芝盛平先生は、力んでいない。 初めに、如来印(にょらいいん)を組み、正しい姿勢を保ちます。

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祈り

「世界平和の祈り」による統一の行ない方 五井先生は、柏手や口笛、そして種々の印を結んで統一指導をされました。 悪が消えていくと今度は光だけが入って来る。 数年後、その店をやめ、個人で五井商店を開業、音楽家をめざし、苦学して音楽の勉強をはじめた。 世界平和の祈りを一心に唱えることで、根源から来る精妙なエネルギー、すなわち「救世の大光明」に心を繋ぐことになる。 さて、五井先生の没後初めて出版された法話集は、昭和56年5月刊の、その名もズバリ『世界人類が平和でありますように』というご本でした。

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代表理事挨拶|社団法人五井昌久研究会

詳しいことはこれ以上書きませんが、とにかく世界平和の祈りは今より未来永劫にわたって祈られ続けてゆく完璧な祈りです。 各能楽堂でこまめにチェックをお薦めします。 この世の中のすべての苦悩は、人間の過去世から現在に至る誤った想念が、その運命に現われて消えてゆく時に起る姿である。 (1957年)• で、2年ほど前にその『世界人類が平和でありますように』を何の気なしに見ておりましたところ、この本の最終章「世界平和の祈りに全託を」の『白光』誌発表号が昭和55年9月号となっていることに私は偶々気がついたのです。 業が少なくなって行く事で運命も良くなって行く。 と聞きました。

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五井昌久とは

私どもの同志には、そういう人々が多いのです。 (1927年)• 自己の想念を一つの目的に集中する、一般的な精神統一とは異なります。 無いからこそすべてがある。 五井先生は、言います。 (1873年)• 1945年• でも、魂は知っていた。

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五井昌久とは

1930年• 肉体を持っていない時は、自他一体。 会員であったの血をひく尚悦子は、病気をきっかけに五井の養女となり、と改名し、西園寺裕夫(の曾孫)と結婚、五井の死後、白光真宏会会長を継承した。 世界平和の祈り [ ]• 経歴 [ ] の(現)に8人兄弟の4男として生まれる。 五井の思想から生まれた平和活動 [編集 ] 五井昌久は、個人の救済のみならず、世界平和の樹立を希求していた。 1941年• (1970年)• 平成30年10月27日 一般社団法人五井昌久研究会 暫定代表理事 日比谷平四郎. そんな中、これまた偶々見ていた随筆集 『行雲流水』 (昭和57年刊) の中の「天然現象と祈り」と題する文章の末尾に「昭和55年9月号発表」と記されているのを私は発見したのです。

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五井昌久先生・西園寺昌美先生

これを実行していると、個人も人類も真の救われ(正覚)を体得できる( 個人人類同時成道)。 その活動は白光真宏会2代目会長・(1971年に五井の養女に)に受け継がれた。 ホントウに良かったですね?. 振り返ってみると、街角にある世界人類が平和でありますようにという祈り言葉が、私の潜在意識の中に入っていたのだと思います。 故人の五井昌久先生。 (1948年)• 『天と地をつなぐ者』:霊覚者になるまでの自叙伝• この世の中は、人類の想念の波でできているのであるから、人類が今日のように神をはなれた物質宇宙観でいる限りは、だめなのである。 統一中に現われてくる雑念はすべて「消えてゆく姿」であると思い、雑念を追わず、とらわれず、「世界平和の祈り」を祈りつづけます。

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統一行

~ まず はじめに ~ 黎明院では、精神世界や真理、趣味の「能」との出合いや、観能記録などを記していきます。 世界平和の祈りは白光真宏会に入会しなくても誰でもでき、またいつでもどこでも実践してよいことなので、やたら多くを期待するのはよくないが、まずは試してみてはいかがだろうか。 全て五井昌久の妄想か作り話であります。 白光真宏会という宗教団体は、どうなりましたか? 教祖の五井昌久氏が生きておられてころは、「宇宙子波動生命物理学を宇宙人から授かった」とかいうへんなことも言ってはいましたが、それをあまり前面には押し出さず、伝統仏教のお念仏と同じように「世界平和の祈り」さえひとすじに唱えていれば、みんな救われるのだ、というわかりやすい教えで、人を納得させるところがありました。 人間が安心立命の心境に到達する第一歩は、自分の背後で見守っている守護霊・守護神の存在を認め、その守護に感謝することであると五井は説いている。

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白光真宏会という宗教団体は、どうなりましたか?

高等小学校1年を終え13歳で日本橋の小さな織物問屋の店員となった。 そんなことでずっといたものですから、求めていたものと出合った嬉しさは格別です。 業(カルマ)の波を打ち消すことができる覚者はこれまでにもいたものの、一般人が簡単に到達し得る領域の能力ではないため、基本的にはその覚者の恩寵に与る、悪く言えばひたすらすがる以外に方法がなかったのではないだろうか。 晩年の法話を拝読すると、私も若干の文体の乱れなどを感じることはあるのですが、しかし、内容面ではいささかの論理的な破綻もない。 数年後、その店をやめ、個人で五井商店を開業、音楽家をめざし、苦学して音楽の勉強をはじめた。

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